1 今夜の下北沢でのライブは、アクシデントもありはしたけど、結果的には最高に盛り上がったライブだった。 ライブが終わって、ライブハウスに残っていたお客さんたちに挨拶をしていると、「よかったよ」とか「最高でした」とかかなりの好感触。 自主制作したCDも、なんだかんだで今日だけで二十枚も売れた。 「あ、遠山先輩おつかれさまでした!」 後輩の佐藤栞(サトウシオリ)が、そう言って笑...
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今夜の下北沢でのライブは、アクシデントもありはしたけど、結果的には最高に盛り上がったライブだった。
ライブが終わって、ライブハウスに残っていたお客さんたちに挨拶をしていると、「よかったよ」とか「最高でした」とかかなりの好感触。
自主制作したCDも、なんだかんだで今日だけで二十枚も売れた。
「あ、遠山先輩おつかれさまでした!」
後輩の佐藤栞(サトウシオリ)が、そう言って笑顔で出迎えてくれる。
「今日も見に来てくれたのか」
俺はちょっと嬉しくなりながら栞のキラキラした眼差しを受け止めた。
栞は俺が通っている大学の後輩だ。ライブに興味があると言っていたので、この前ライブに誘ったら、すっかり俺たちのバンドを気に入ってくれて、前回今回と、二回連続で来てくれていた。
「もちろんです! 遠山先輩のベース弾いてる姿、かっこよかったですよ♪ あ、ここではオキさんって呼んだほうがいいんでしたっけ?」
俺の名前は遠山央樹(トウヤマオウキ)。大学では「遠山」と、苗字でそのまま呼ばれることが多かったが、バンド内では「オキ」と呼ばれている。
「んー、別にどっちでもいいぜ」
「じゃあオキさんで♪ あ、乾杯です!」
栞は楽しそうに俺のことをそう呼びながら、手に持っていたカクテルらしき飲み物を軽く持ち上げた。
「ああ、乾杯」
俺もそれに応える。
「あたし今日もすごく感動しちゃいました! あ、ハルトさんだ――ハルトさんおつかれさまです!」
栞のよく通る声で呼ばれて、ハルトが俺たちの方にやってきた。ハルトはバンドのサイドギターを担当している。本名は結城晴人(ユウキハルト)というんだが、みんな下の名前で「ハルト」と呼んでいた。
ハルトは栞を見て、すぐに誰か思い出したようだった。
「ええと、きみは確かオキの後輩の、栞ちゃん、だよね?」
「はい! わあ、覚えててくれたんだ! 嬉しい!」
栞はとても人懐っこい女の子で、特に自分が気に入った相手に対しては最初からテンションが高い。
俺の勘では、栞はハルトにかなり興味を持ってるくさかった。シンも「シオリちゃんは、絶対ハルトに気があるね」と、前回のライブの時に言っていたから、絶対そうだと思う。
なんとなく可愛い後輩をハルトに奪われた感じがして、あまり面白くない心境ではあった。が、ハルトは最近女に振られたばかりで、未だに失恋のショックから立ち直れていないという状況だった。ま、ハルトが元気になるのなら、栞のことはこの際大目に見てやってもいい。
しかしハルトには今のところあまりそんな気はないらしい。栞の積極的な各種攻撃に多少たじたじの様子だったハルトは、俺に助けを求めるように話を振ってくる。
「なあ、さっき栞ちゃんとも話してたんだけど、今日の打ち上げはどうするのかな?」
「ああ、そうだな。確か外の通りに居酒屋あっただろ? そこでいいんじゃないか。――何人くらいになりそうだ?」
「今日は結構たくさん友達とか来てくれてるみたいだし、だいたい二十人くらいじゃないか?」
「オーケー。じゃあ俺今から行って、席空いてるか聞いてくるわ」
「え、あ――いってらっしゃい」
結局俺に助けを求めそこなったハルトは、そのまま当面は栞の攻撃を受け続けることになるのだろう。
別にハルトを助けてやってもよかったんだけど、ここはやっぱり可愛い後輩の味方をしてやらないとな。去り際にこっそり栞と視線を合わせる。栞が愛嬌たっぷりに、俺にウインクして見せた。
あれくらい明るくて積極的な子がハルトには合ってるかもしれないと、改めて考える。
ハルトは優しい奴だが、奥手過ぎて幸せを逃すタイプの男だからな。栞くらいの子が、あいつにはたぶんちょうどいい。
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その後、俺は目当ての居酒屋で首尾よく座席を確保し、打ち上げ参加希望者を店まで誘導した。
八人用の大きなテーブルを三つ使って、各自思い思いのテーブルに座ってもらう。
大体揃ったところで乾杯する。乾杯の音頭はシンにやらせることにした。シンはうちのバンドのボーカル兼リードギターだ。女みたいな顔と甘い歌声で、ライブのたびに新たな女性ファンを獲得してくれるうちの広告塔でもある。ちょっと、いやかなり女癖が悪いのが欠点だが、これまで女がらみで大きなトラブルが発生していないところを見ると、あいつはあいつなりにきっとうまく立ち回ってるんだろう。
ちなみに本名を橘真太郎(タチバナシンタロウ)というんだけど、大体のやつは「シン」と呼ぶ。真太郎なんて名前、ちょっと長すぎていちいち呼ぶ気になれないよな。
俺に乾杯を促されたシンは、おとなしくビールグラスを持って口上を始めた。
シン、お前ここんとこ打ち上げの参加をサボってばかりだったからな。今日は働いてもらうぞ。覚悟しやがれ。
『乾杯!』
唱和して打ち上げが始まった。特になにかのイベントを用意しているわけじゃないから、あとは適当に飲んでもらって話してもらって、それでいい時間になったら解散だ。
俺のゲストは今日は栞しかいないが、栞は当然のようにハルトの隣の席を確保して、さっきから半ばハルトを独占している状態だ。もう俺の出番は必要なさそうだ。そんなわけで、これでようやく今日のライブがひと段落ついた気分になった俺は、ロックの焼酎片手に一人くつろいでいた。
そんなときに、隣に座っていたアヤが前触れもなく聞いてきたんだ。
「ねえ、オキくん。あの人知ってる? あの、シンくんの隣に座っている人」
アヤがそう言って、シンの座っているテーブルのほうをこっそり指差した。
おいおい、また新しい女に手を出してるのか? しかもアヤが見てる前で!
アヤはシンの恋人だ。……本当は恋人という言葉で片付けるには色々複雑な事情があるんだけど、まあそんなようなもんだ。
そんなアヤの目の前で別の女の子にちょっかい出してるんだとしたら、また後で血を見ることになりかねない。シンの横に座っている女性に、慌てて目を向ける。ああ、なんだ。
「ああ、優里さんか。シンの姉さんだよ」
確かシンの三つ上だから、今二十四歳のはずだ。髪が長いストレートで、大人っぽい。少し下がった目じりがシンに良く似ていた。
「……ふうん、お姉さんか」
さっきのライブで、優里さんは突然ライブハウスに現れた。ちょうど最後の曲の演奏を開始したところだった。
優里さんがくることを、シンも全く予測してなかったんだろう。優里さんがライブハウスに入ってきたことに気づいたシンは、歌を歌うタイミングで歌詞ではなく優里さんの名前を思いっきり叫びやがった。まったく、あの時はさすがに驚いたな。
取り繕いようもなく、演奏は一時中断。ライブハウスは一時騒然となってしまった。
けど、それがなぜか良いほうに働いて、お客さんたちの励ましを受けながら、最後には最高の演奏が出来たんだけどな。
優里さんは快活そうな笑顔でなにかを喋っている。が、俺と、隣に座っているアヤまでは彼女の声は届かない。
対照的にシンはとても居心地悪そうにしていた。いつもなら人一倍騒ぐか、さっき俺が恐れたように目新しい女の子にちょっかい出してアヤに睨まれたりしているのに、今日はまるで借りてきた猫みたいにじっとして動かない。
優里さんが冗談らしきことを言ってみんなを笑わせてるのに対して、そのたびにシンは真っ赤になったり、困った顔でなにか言い返したりしている。
「まるで別人だな」
俺は呆れた気持ちになりながら、思ったことをそのまま声に出した。
「だよねー! なんか調子狂っちゃう」
そのとき、シンが優里さんをチラリと見た。俺は衝撃を隠しきれずうつむいた。
シンの優里さんを見る目は、姉を見る眼差しとしてはあまりにも熱を持ちすぎていた。
優里さんに対するシンの気持ちを俺は知っていた。ずっと前に、シンに打ち明けられていたからな。
シンは、優里さんのことを姉としてではなく、一人の女性として見ていた。
もちろん優里さんに、シンはそのことを伝えていない。伝えていたとしたら、こんな風になんでもない顔をして二人隣り合ってはいられないだろう。
げ、そうだ!
そのことに気づいて、俺はアヤを見た。
やっぱり……アヤは俺の隣で、青ざめた顔でシンを凝視している。
今のシンの顔に、さっき優里を見つめたときに垣間見せたあの情熱的な様子は微塵も見られなかった。
けれど、それでもあの一瞬でアヤには十分だったんだろう。
「アヤ、どうしたんだ」
俺は白々しくそう声をかける。
「――あ、うん。なんでもない」
そうは答えてきたものの、アヤは相変わらずシンを見るのをやめようとはしなかった。
シンの優里さんへの気持ちを、アヤはたぶん今、確信しているだろう。
再度アヤに話しかけようかどうか考えて、結局それはやめておくことにする。
俺は目の前の焼酎をくいっと飲み干した。
打ち上げが終わるまで、アヤはほとんどずっと、シンを見ることをやめなかった。
3
「ようオキ、久しぶり」
打ち上げが終わり、一人になって、さあこれからどうしよう、一人でどっかに飲みに行くかな、なんて考えていたら洋輔にばったり出くわした。
「よう」
俺も洋輔と同じように、片手を軽く上げて応える。
「一人か?」
洋輔がそう聞いてくるのに俺はうなずいた。
「そっちとは違ってな。俺は孤独なんだよ」
今の洋輔の様子を、そんなふうに揶揄してやる。
洋輔は女と抱き合う形で俺と向かい合っていた。まったく、別に彼女がいるくせに、こいつといい、シンといい、どいつもこいつも救いようがない。
「そんなんじゃねえよ――そうだ、せっかくだからこれから一杯付き合えよ」
「いや、それはお邪魔になりそうだからやめておくよ」
「そんなの別に気にすることねえよ」
洋輔は自分の首にしがみついていた女を引き剥がすと言った。
「こいつとは今別れるところだったんだ」
その言いようを聞いて、女が反論する。
「なに言ってんの洋輔くん? 今日はずっと一緒にいてくれるって、さっき言ったばかりなのに!」
「悪い悪い、こいつ、俺の親友なんだ。また今度埋め合わせするからさ」
洋輔はすまなそうに女に謝りながら、じっと女の目を見つめた。
「な、今日はこいつと二人で飲みたいんだ。わかってくれよ」
「――もう。またそんな目で見る。もう騙されないんだから」
「騙してなんかねえよ」
ささやくような甘い声で洋輔は言った。女の全身の力が抜けたように俺には見えた。
「また明日連絡するから、な?」
「……ぜったいだからね?」
女はそれ以上抗議することなく、軽いキスを交わして一人駅のほうに去っていった。去り際に、俺に挑戦的に微笑みかけてから。
「まいったよ」
洋輔は遠ざかっていく女の後姿を指差して言った。
「昔付き合ってた女なんだけどな。未だに俺に未練があるらしい」
「……お前、そのうち刺されるぞ」
俺がそう言うと、洋輔は軽く鼻を鳴らす。長い髪をかきあげ、流し目気味に俺を見た。
「フン。そんなヘマはしねえよ。――なあ、久しぶりにあの店に行こうぜ。男二人で飲むにはなかなかいい店だろ?」
洋輔と連れ立って、俺は昔行きつけだったバーに入った。洋輔とバンドを組んでいた頃によく来ていた店だ。
二人してカウンターのいつもの位置に座る。
「乾杯。俺たちに」
洋輔はそう言うとビールを掲げた。ビールグラスを合わせ、ひとしきり話した後俺は何気なく聞いた。
「リリは元気か?」
「ああ、元気だよ。今日はメールしかしてないけど」
「いったん別れたお前たちが、また付き合い始めるとは思わなかったよ」
「うん、俺も思ってなかった」
洋輔は素直に認めた。
「けどな、男と女ってのはそういうもんだろ? 何がきっかけでどうなるかなんてわからない。付き合うときも、別れるときも」
洋輔にはリリという彼女がいる。一度別れた二人は、今またよりを戻していた。
リリは少し前まではうちのバンドのライブにもよく来てくれていた女の子だ。その頃リリは、サイドギターを担当しているハルトのガールフレンドだった。ライブだけでなく、バンドの練習にもハルトとよく顔を出していた。
ハルトとリリはいずれ付き合うようになると、俺は当時思っていた。
ハルトは誰が見てもわかるくらいリリにぞっこんだったし、リリ自身、ハルトのことを必要としていたはずだった。
それが、気がつけばリリは洋輔とまた付き合うようになっていた。以来、俺たちのバンドの練習やライブには、リリは一度も顔を出していない。
「お前らがあいつのことをどう思ってんのか知らねえが、リリはいい女だよ。ただ、弱い女なんだ。誰かが支えてやらないといけない。だが支える価値がある。そんな女だ」
洋輔のその言葉に、意外なくらいリリへの優しさを感じて、俺は思い出した。
「そういえば、昔からお前の周りには、そんな女ばっかり集まってきたな」
「女は嗅覚で、男を見分けるのさ」
当たり前のことを言うような口調で、洋輔は答える。
「さっきの女もそうだ。周りの男がだらしねえから、いつまでたっても何かあったら俺を頼ってくる。こんな俺を――」
言いながら洋輔は自分の左手を眺めた。
「――いつまでも頼ってくる。俺がいないと生きてられないみたいな顔して」
俺は言う言葉が見つからず、かわりにビールを口にした。
「そういやハルトは元気か?」
俺がリリのことを聞いたように、洋輔はハルトのことをそう聞いてきた。
「気にしてるのか? ――もしかして、悪いと思ってんのか、ハルトに?」
「まさか。俺がリリと別れていた数ヶ月の間に、リリを自分のものにできなかったのは、あいつがとろかったからだ。俺が悪いと思う理由がねえよ」
ハルトは優しいやつなんだ。そう言おうとして、俺は口をつぐむ。そんなことを言っても意味がないと思った。
この店に来る前からすでにそれなりに酔っ払っていた洋輔は饒舌だった。
「あいつは根っからの根性なしだよ。臆病すぎて危ない橋は渡れねえのさ。そんなんじゃ、自分の好きな女のことも守れねえよ。見ろよ! リリだって、俺みたいなろくでなしにまた奪われちまった! くだらねえ野郎だ」
思わず俺は言った。
「……あいつは、優しいやつなんだ」
ビールを飲み干すために洋輔は顔を上げた。泡が口の端を伝って、仕立ての良い白いシャツに落ちる。それを拭こうともせず、空いたグラスを乱暴にテーブルに置いた。
「知ってるよ。けどな、ただ優しいだけじゃ、女一人幸せにしてやれねえんだ」
それが真実だ。そう言うと、洋輔は黙り込んだ。
結局、俺と洋輔は始発の時間までバーで飲み明かした。その間に洋輔は幾度となくハルトのことを俺に聞いてきた。
そのたびに俺は丁寧に答えてやった。うん、今もあの店でバイトしてるよ。少し前に軽の中古車買ったんだ。ギターはまたうまくなった。最近はドラムの練習も少ししてるな。今日はハルトの作った曲をライブの最後に持ってきたんだ。最高に盛り上がったよ――。
だろう。あいつの作る曲は悪くない。まあたいていはな。洋輔はとても嬉しそうに、ろれつの怪しくなった口調で言う。
めんどくさい奴らだ。俺は後半かなりうんざりしていたが、聞かれるたびに、ハルトの最新情報を洋輔に伝え続けた。洋輔は女の話をするときよりよほど熱心にそれを聞く。本当にめんどくさい奴らだ。
午前五時。まともに歩けなくなった洋輔に肩を貸しながら外に出ると、空はまだ暗かった。秋の風が冷たく吹きすぎていく。
「寒い。ここはアラスカか?」
「大げさだよ」
洋輔を何とか一人で立たせようと苦心しながら、俺は的確につっこみを入れる。
「本当に寒い」
洋輔はブルブル震えながら右手で左手をさすった。
「なあオキ。あの頃、楽しかったなあ。お前がベースで、ハルトがギターボーカルで、俺がドラムでさ。イカしたバンドだったよな。俺たち」
「そうだな」
「寒い」
洋輔はまた言った。左手をさすり続けている。
「痛むのか?」
俺は聞いた。
「別に」
洋輔は短く応える。彼の左手は一年前の事故の時に、ほとんど握力をなくしていた。
ドラムスティックも満足に握れなくなった古傷だらけの左手を、洋輔は大事そうにさすり続けた。
4
下北沢のライブから二週間が経った。
今日は貸しスタジオで練習する日だった。次のライブも四日後に控えているし、みな追い込みの気分で、それなりに一生懸命練習している。
二時間くらいぶっ通しで練習して、少し休憩をとることにした。
「オキ、今日練習終わったら飲みに行かない?」
タバコを吸っていると、シンが俺にそう提案してきて俺は驚いた。
「珍しいな。お前が飲みに誘ってくるなんて。お前酒苦手じゃなかったっけ?」
「最近良く飲むんだ。ちょっとは強くなってきたよ」
まじまじと俺はシンを見る。
「なんかあったのか?」
「うーん、まあ、ちょっとね」
思っていることをいつもためらわず言うシンにしては、それはちょっと珍しいくらい歯切れの悪い答えだった。
練習の後、貸しスタジオの近所にある居酒屋に、シンと二人で入った。
「おつかれ乾杯!」
シンがそう言い、俺たちは音を立てて乾杯した。
シンはしばらくバンドの話とか最近ちょっかいを出している女の話とかを大して身の入らない様子でずっと喋っていたが、レモンサワーを二杯も飲んだところで、これ以上酔うとまともに話が出来なくなるとでも思ったんだろう。ようやく本題に入ってきた。
「最近、アヤと連絡が取れないんだ」
「そうなのか?」
「うん。メールしても返事返ってこないし、電話しても出てくれない。ほら、下北沢のライブの後からだよ。僕、なんかアヤを怒らせることしちゃったのかなあ。――オキ、アヤからなんか聞いてない?」
「……なんで俺に聞くんだ?」
「オキとアヤ、結構仲いいじゃん。知ってるよ僕は。アヤはなんでもオキに相談するんだ」
「悪いな、俺のほうにも特に連絡は来てないよ」
「そうかあ」
シンは仕方なさそうに笑った。
アヤからなにも連絡が来てないのは本当だった。だけど、俺はアヤがシンからのメールや電話を無視する理由をたぶん知っていた。
どう考えてもあの下北沢での打ち上げの時、シンが優里さんを見た、あの熱すぎる視線が原因だろう。
アヤは知ってしまったんだ。シンが本当は、誰のことを好きなのかということを。
「やっぱり僕は、アヤに振られちゃったのかな」
ため息をつきながらそう言うシンに俺はわざと明るい声で言った。
「別に女はアヤだけじゃないだろ? 特にお前の場合はさ。さっきも別の女の話を楽しそうにしてたじゃんか」
「そうだけど……けどどうしたのかな。どうもダメみたいなんだ。この前も、最近知り合った女の子とHしたんだけど、夢中になれないの。昨日も別の子で試してみたけどダメだった。気持ち良くないんだ。ていうかむしろ痛いんだ。ここがさ」
胸を押さえて、シンは寂しそうに笑った。
「――僕、アヤ以外の女の子とはしたくないみたい。だからHの代わりに酒に溺れようと思ってさ。だからここんとこ、お酒ばかり飲んでる」
俺は頭が痛くなった。飲みすぎのせいとかでは全然なく。
「お前が優里さんのことを好きなのは知ってるぜ。何年も前にお前から聞いたからな。ようは、アヤは優里さんの代わりだったんだろ? アヤにも、付き合い始める前に言ったんだよな。アヤのことは好きだけど、あ、愛せないって」
愛せない、って部分を口にするときに恥ずかしさのあまりどもってしまう。こんな恥ずかしい言葉を、女を目の前にしてる時以外に言う羽目になるとは思わなかった。
「オキはやっぱりなんでも知ってるなあ」
エヘヘと笑いながらシンは言う。笑ってる場合じゃないっての!
「うん。アヤには付き合う前にちゃんと言ったよ。好きだけど愛せない。僕には他に一番好きな人がいるんだって。優里のことが好きなんだとは、さすがに言ってないけど」
シンは自分の姉のことを、たいてい優里と呼び捨てにする。
「今はどうなんだ?」
この際、単刀直入に俺は聞くことにした。
「今もアヤのことは――その、愛してないのか? 優里さんのことだけを、お前はあ、愛してるのか?」
「わかんない」
俺に何度も恥ずかしい言葉を言わせながら、シンは全く俺の期待に応えない返事をした。ムカムカムカ。俺はいい加減腹が立ってきた。
さすがにそんな曖昧な言葉では俺が納得しないと気づいたんだろう。シンは慌てて言葉を続ける。
「優里のことは今でも一番好きなんだと思う。もうずっと好きでいすぎて、体の一部になっちゃったみたいに。優里のことが好きだって気持ちは、それくらい僕にとっては自然な気持ちなんだよ。けどさ、アヤのことは正直よくわかんないんだ。アヤは僕にとって、とても大事な女の子だと思う。一緒にいると楽しいんだ。Hしてると、その間は優里のことも完全に忘れられるくらいアヤに夢中になるし。好きだよアヤのこと。けどさ、やっぱり僕は優里のことを愛してるし、アヤへの気持ちはそれとは違うんだ」
俺はため息をついて、今の心境を正直に口にした。
「……お前の言うことは、俺にはややこし過ぎて、よくわからん」
「僕にもよくわからないんだよ」
困ったように言って、シンは三杯目のレモンサワーを飲んだ。
「けどな、アヤのことをお前がどれだけ必要としているか、それならよくわかってる」
「え、本当に?」
「ああ、じゃないとあんな歌、作れねえよ」
次の日、俺はアヤの携帯電話に電話した。
『はい』
「なんでシンに連絡しないんだ?」
『……オキくんには関係ないでしょ』
関係ないだと!? 誰のおかげで、昨日あっけなく酔いつぶれたシンを介抱する羽目になったと思ってんだ!
「本当に、関係ないと思うのか?」
沈黙。アヤは泣きそうな声で言った。
『もうイヤになっちゃったの。アヤね、シンくんのこと、心のどっかで期待してたんだと思う。いつかアヤのことを一番好きになってくれるんじゃないかって、期待してたの。けどもう無理! だって――!』
そっから先は声にならないようだった。電話の向こうで、アヤは泣き続ける。
どれくらい経っただろう。ようやくアヤが多少落ち着いたのを見計らって、俺は言った。
「三日後のライブには、絶対来いよ」
『やだ。もう行かない。決めたの。シンくんとはもう会わないって』
「だったら、ちゃんとシンにそう言ってやれ」
『言う義理ないもん。なんでアヤのこと最後まで愛してくれなかったひとに、そんなこと言ってあげなきゃいけないの』
「三日後のライブで、新曲を一曲やるんだ」
『だからそれが――』
アヤが言い募ろうとしたのをさえぎって俺は続けた。
「シンが作った曲だ」
『――え?』
「あいつが、初めて自分と向き合って作った曲だ。もう会わないのなら会わないでいい。別れの言葉を伝えないのなら、それでもいい。けど、せっかくあいつが、初めて自分自身と向き合いながら作った曲なんだ。たぶん、一番お前に聞いてもらいたいんだと思う。だから聞いてやれよ」
返事をせずに、アヤは電話を切った。
ため息をつく。
めんどくさい奴らだ。誰も彼も。そう思った。
人の世話をついつい焼いてしまう自分の性格が、いい加減恨めしい。
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三日後。ライブの夜。
この夜のライブも、場所は前回と同じだった。下北沢のライブハウス。
お客さんもそこそこ来てくれて、俺たちのテンションも結構高かった。
今日も後輩の栞は来てくれていた。もはや目当ては俺の演奏ではないだろうけどな。
あと、ちょっと驚いたことに、ライブハウスの一番奥、隅のほうに洋輔がいた。一年前の事故で左手を負傷してドラムを続けられなくなってから、洋輔は音楽を完全に断っていたはずだ。
忌まわしい事故だった。あの事故で洋輔は左手の自由を失い、音楽を失い、やけになって酒と女に溺れて、やがてリリも失った。まあ、リリとは最近よりを戻したけどな。
どうやらいまだに酒と女にはだらしないみたいだが、それでも洋輔はやっと、かつての自分を取り戻そうとし始めているのかもしれない。そう思うと俺は少し嬉しくなった。
洋輔は今日は黒いシャツを着ていた。長い茶髪を若干前にたらし気味にして、つばのついた帽子をかぶっている。おまけに暗いライブハウスの中だというのに薄い色のサングラスをしているのは、もしかして顔を隠しているつもりなのだろうか。
けど確かに俺以外のメンバーは洋輔に気づいていないようだから、それは成功しているのかもしれない。
もしハルトが洋輔を見つけたら、ハルトの演奏に支障がでないと限らないから、洋輔のその判断はありがたかった。
シンの姉の優里さんは来ていなかった。それもそのはず、シンに聞いたところによると、優里さんは一週間前に旦那さんのいるアメリカに帰ったらしい。
アヤはまだ来ていない。
今日の俺たちの演奏は六曲。シンの作った新曲は四曲目に演奏する予定だった。
演奏が始まった。
一曲目が終わり、二曲目が終わる。それでもアヤはこなかった。
そのまま三曲目に入る。歌は『吹く風のように』。前回は最後に披露した歌だ。
『俺は風のようでなくていいんだ』
そのフレーズと共に演奏が終わる。客の反応もいい。しかしこの歌をライブで歌うと、シンのやつ必ず泣くな。そんなにこの歌に感情移入してるんだろうか。ハルトの作ったこの歌は、シン本人とはかなりイメージ違うと思うんだが。
いよいよ次は四曲目だ。シンが初めて作った歌。
その前にMCを入れる。中盤のMCはたいてい俺の役目だ。ちょっとした雑談と、次のライブの告知。アヤはまだ姿を見せない。俺はそれらをできるだけゆっくりと喋った。
けれど別に俺はMCが得意なわけでも、好きなわけでもない。そんなに引き伸ばせるものじゃなかった。しかも次のバンドもあるから、時間自体に制限がある。
もうこれ以上引き伸ばせない。俺は思い切って言った。
「では次の曲を聞いてください。曲はGLASS EYES」
お客さんがくれる拍手の中、しかしバンドのメンバーは全員戸惑っていた。
「おい、オキ。曲順間違えてるよ」
ハルトが俺に耳打ちする。
「わかってる。――やっぱりシンの曲は、一番最後がいいんじゃないかって、さっき思ったんだ。だから突然で悪いけど、曲順変えさせてくれないか?」
「ええ、あの新曲を最後にやるのか? まだ一度もお客さんの反応を見てない曲を最後に持ってくるって、結構冒険じゃないか?」
「頼むよ。俺の勘を信じてくれ」
アヤがくるのをギリギリまで待ちたいんだ。とは、俺は言えなかった。
ハルトはもしかしたら、そういうバンドを私物化したような発言を嫌うかもしれないからな。代わりに俺は、精一杯強い目でハルトに訴えかけた。
ハルトは俺の目に、何かを感じてくれたようだった。
「……わかった。シン、次はGLASS EYESだ。シンの曲は最後にする」
「……うん、わかった」
「サンキュー」
俺はハルトに礼を言った。
「気にするなよ。どうせなんか理由があるんだろ? さっき言ったのとは別の」
ハルトの笑顔に、俺は思わず目を伏せてしまう。
洋輔の言うとおり、ハルトは優しいやつだ。優しすぎて、人の気持ちを思いやるあまり、たまに臆病すぎるように思えることもある。
けれどこのバンドで、ハルトの決定にむやみに逆らうやつは一人もいない。
それはハルトが、いつもバンドのことをとても大事に考えてくれていると、みんなが信頼しているからだ。バンドのことや、俺たち一人ひとりのことを、こいつはいつも一番に考えてくれている。俺たちのそんな期待を、ハルトはただの一度も裏切ったことはなかった。俺は改めてそれを思い出した。
ハルトは優しいやつだ。そして信じられるやつだ。洋輔、お前もハルトのそんなところが好きなんだろう?
なかなか曲を始めないのに、お客さんがざわつき始めていた。
そのざわつきを押さえつけるように四曲目が始まった。
GLASS EYES。硬質の音を集めた、俺たちの持ち歌の中では一番ハードなナンバーだ。
とても速い、オーディエンスのテンションを煽る曲だ。同時に、演奏側のテンションもどんどんあがっていく。
みんなが無意識のうちに好き勝手な暴走をしようとする中、けど俺の音はそれを制し続ける。
どんなときも、走らず、ひたすら淡々と音を出す。全体の調整役。それが俺の役割だった。そんな地味な役割が、けど俺は結構気に入っていた。
なんだかんだ言って随分世話好きな性格の俺に、このベースってやつはたぶん合っているんだと思う。
意味もなく走ろうとするメンバーを、ベースの音で制御する。ためて。ためて。もっとためて。
ほらここだ! 俺は解放した。
シン!
ベースの弦を叩きつけるように弾いた。この音でシンのやつを怒鳴りつける。
ほら、歌え!!
シンのシャウトが、最高のタイミングで爆発した!
オーディエンスが一気に盛り上がる。ドラムのリクと一瞬目を合わせ、リズム隊同士でつかのま喜びを分かち合った。
そのままの勢いで四曲目が終わり、音を途切れさせずに五曲目に入る。本当だったら最後だった曲だ。
淡々とベースを弾きながら、俺はライブハウスの防音扉から目を離さなかった。
アヤ。くるんだ。俺は願った。
しかし、五曲目が終わってもアヤはこなかった。
お客さんの歓声は今までで一番大きなものだった。本当はこの歓声でライブが終わる予定だったんだけどな。
けどあと一曲。たった一人の女の子に、聞かせたかった歌がある。
息を整えて、シンがステージからお客さんに向けて言った。
「最後の曲は、新曲です」
最高潮に盛り上がった客は、大きな拍手をくれる。
シンは満面の笑みを浮かべた。
「この曲は、本当は一番聞かせたい人がいたんだけど。けどその子は今日は来てくれてなくて。だからその子に聞いてもらうのはまた次の機会かなって思ってます」
振られたのか? 客の一人がそんなことを言った。どっと笑いが起きる。シンはニヤリとした。
「ま、人生そんなこともあるよね。じゃ歌います。新曲。CAPACITY OVER」
ギターソロから入る。
ギターの音だけが鳴り響く中、シンは歌い始めた。
『廃墟の中に 立ちすくむ冷たい鉄塔
風に揺れる途切れたロープ
あんなものにでもぶら下がってみたら
こんな痛みなんて 忘れられるのだろうか』
あの日、この歌をシンから初めて聴かされたとき、すぐにこれは優里さんとアヤのことを歌っているのだとわかった。
(アヤに聴いてもらいたいんだ)
歌い終えた後、少し照れくさそうにしてシンは言っていた。
徐々に、俺も含めた他のメンバーの音が入り始める。
曲のペースが一気に上がっていく。
『巨大な交差点 向かってくる人たちはみんな
それぞれあさってのなにかを見てた
孤独を知って 立ちすくみそうになる
俯いてロボットのように 足を動かした
灰色の空は落ちてこない』
そして最初のサビの部分。
『終わらない夜の中で
終わらない雨に濡れて
いつも差し伸べられている手も 僕は握れない
想いに気づかれるのが怖くて』
優里さんへのどうにもならない気持ち。
シンはいったいいつから、こんな気持ちを自分の中に抱え込んでいたんだろうか。
『逃げ出した僕を 相変わらず
僕のとは違う愛を込め 見守ってくれている
そんな目で見られたくないから 逃げ出したのに』
間奏に入り、ギターソロ。悲しいくらい澄んだシンのギターの音が、突き刺すように閉ざされた空間を疾走する。
その時ライブハウスの防音扉が開いた。なにかの予感がして俺は開いた扉を見た。
やっぱり。
そこにはアヤがいた。
じゃあ無駄ではなかったんだな。喜びがベースの音に反映されようとしていたのを、意志の力で制御する。
シンも、アヤが来てくれたことに気がついたようだ。
当たり前だ。シンがアヤに、気づかないわけがない。
シン。お前は好きに弾け。
ベースの音に、俺はそんな気持ちを込めた。
跳ね上がるようなリードギターの旋律がベースを踏み台に踊る。シンは歌った。
『歌を歌って 誰かと体だけ繋げて
キャパシティの足りないハートは
一時の喜びさえもすぐになくす
だからまた歌って 別の体を求めた』
アヤはじっとシンを見ていた。
これがたぶんアヤにとって、最後のシンの姿になる。少なくともアヤはそう思ってここまで来たんだろう。
そんなアヤを、シンは同じように熱い視線で見返していた。
『時の止まった場所 歌いながら出会った君は
こんなにもなにも持たない僕から
いったい何を 見つけてくれたんだろう
愛せないと言った僕を それでもどうして
そんなにまっすぐ見てくれるの』
二回目のサビに向かって、バンドのメンバー全員の出す音が俺の手を離れ、どうしようもなくシンの出す音に引き込まれていく。俺自身も。
クソ――!
微かな敗北感。そして圧倒的な喜び。
もうなるようになれ! クソ、やっぱりこいつら最高だ――!
『終わらない夜を越えて
終わらない雨を越えて
君が差し伸べてくれた手を 僕はそっと握る
キャパシティの足りないハートに
精一杯愛を 詰め込んで』
いつの間にかアヤは泣いていた。
シンも泣いている。本当に良く泣く奴だよな。
『そしてやっぱりこぼれていく愛を 絶望と共に捨てていく
かけがえないものと 知っているのに』
――シン。お前は気づいてないのか?
ただアヤのことを思って歌う歌が、空気だけでなく、これほど人の心を震わせてるってのに。
この歌に愛がないとでも? お前が歌っているのは、切ない、純粋なラブソングじゃないか。
『終わらない夜を越えて
終わらない雨を越えて
君が差し伸べてくれた手を そっと握り締める
またこぼれ落ちるのを知りながら――』
アヤ。届いたよな。
シンの気持ち――お前に。
『それでも精一杯 握り締めたんだ』
最後の一音が空気を震わすのを終えて。長い拍手の中、シンとアヤはお互いを見詰め続けていた。
アヤがゆっくりと微笑んだ。右手を胸の前に出し、しぐさと口の動きでシンにその言葉を伝えた。
バイバイ。
アヤがそう言ったのがわかって、シンは悲しげに微笑む。
嬉しいときも、悲しいときも、いつからこいつは、どんなときでも笑顔を向けることしかできなくなってしまったんだろう。
けど、そのときアヤの口が、また開いたんだ。
ま・た・ね。
「――ええ、それどういう意味!?」
けれどそのシンの疑問には答えてくれず、アヤは悪戯っぽい笑みを残して、俺たちに背を向けて去っていった。
呆然としているシンを、俺は少し気の毒な思いで見た。
たった三音。
それだけで、今シンの心は気の毒なくらいかき乱されているんだろう。俺はため息をつく。
やっぱり女には、男は敵わない。
けどまあ、とりあえずはよかったな、シン。俺はもういい加減付き合ってられねえから、後はてめえで何とかしろ。
ひと仕事終えたという満足感と共に、俺は足元においてあったボルヴィックのペットボトルを手に取った。
ライブハウスの隅にいた洋輔と目が合う。と、洋輔がグラスを掲げて見せた。――驚いたことに左手で。
握力、戻ってきてるのか。
左手に持っていたグラスは、遠めに見ても少し震えていたが、誇らしげに掲げられていた。
それに合わせて俺もボルヴィックを掲げてみせる。
「乾杯」
声に出して言った。

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