1 白く息苦しい廊下を延々と歩き回ってやっと見つけた302号室。 部屋に入ると、そこには包帯だらけの洋輔がいた。 それを見て爆笑してしまう。 「なに笑ってんだてめぇ」 洋輔がドスをきかせた声で言ってくる。 だけどその声はさすがに弱々しくて、きいてたらさらにおかしくなって、ちょっと息をするのが苦しいくらいになって思わず「もうやめて」と言ってしまった。 「アヤ」 名前を呼ばれて顔を...
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白く息苦しい廊下を延々と歩き回ってやっと見つけた302号室。
部屋に入ると、そこには包帯だらけの洋輔がいた。
それを見て爆笑してしまう。
「なに笑ってんだてめぇ」
洋輔がドスをきかせた声で言ってくる。
だけどその声はさすがに弱々しくて、きいてたらさらにおかしくなって、ちょっと息をするのが苦しいくらいになって思わず「もうやめて」と言ってしまった。
「アヤ」
名前を呼ばれて顔をあげると、ニットのカーディガンを着た女の子がいた。リリだ。茶色いニットの下から花柄のワンピースがちょこっとのぞいててカワイイ。
リリはアタシの親友で、洋輔のカノジョだ。
ずっと前に来てたんだと思う。洋輔の寝ているベッドの隣で、パイプ椅子に座ってリンゴを剥いていた。
けど、いまはその手を止めて、アタシのことをカワイイ目でじっと睨みつけている。
「いいかげんに笑うのやめてくれないと怒るから」
リリの声はいつもと同じですごく優しかったけど、なんとなく迫力があって、アタシはしゅんとした。
でもよかった、これ以上息できなかったらアタシ死んでたかもしれない。とか思いながら素直に謝る。
「……ごめんなさい」
「よし」
よかった。リリからすんなり許してもらえたのでほっとする。
だけど少しでも機嫌をとっておこうと、とびきりの笑顔を顔に貼りつけながら包帯だらけの洋輔に駆け寄った。
「で、大丈夫なの、洋輔? バイクで事故ったってきいたけど」
「おまえは人を心配するとき、いつも満面の笑みなのか?」
「あ、間違えた、ごめんね。いまから心配してる顔するから待ってて」
「もういいよ」
と、ふてくされた顔をする洋輔。
あら? あらら? なんか今日の洋輔、かわゆいんだけど!?
洋輔から健康を取りあげたら、かわゆくなるのかしら?
そんなことを考えながら、改めて洋輔のことを眺めてみる。
洋輔はカラダ中が包帯だらけで、ミイラみたいだった。頭も胸も足もグルグル巻き。
特に徹底的に包帯を巻かれてるのが左腕の肘から先で、それに気づいたとき、やっとここに駆け込んでくる直前までの気持ちを取り戻した。
「ねえ洋輔、あんた、大丈夫なの? そんな……」
そんなカラダで、ドラム叩けるの?
そう言おうとして、苦しくなって言えなかった。
洋輔は、アタシの大好きなバンド『BREATH』のドラマーだった。
洋輔とオキとハルトくんのスリーピースバンドは完璧で、だから誰かひとりでも欠けているBREATHなんてアタシには考えられない。
「まあ、見てのとおりさ」
洋輔は自分のカラダを一瞥した。
「俺は不死身だ」
「かわいそう……包帯だらけのカラダでそんなことゆうなんて、頭打っておかしくなっちゃったんだね」
「おまえ殺すぞ」
俺は不死身だ、と同じイントネーションで言った洋輔は、舌打ちして続ける。
「医者が仰々しく巻いてるだけだよ。こんなもんでも患者に巻きつけとかねえと、治療した気になんねぇんだろヤツらは」
「洋輔くん……ダメだよそんなこと言っちゃ」
「そうよ。だいたいあんたなに考えてんのよ!」
こみあげてきた怒りを、口の減らない洋輔に遠慮なくぶつけることにした。
「リリは繊細なんだからね! 心配しすぎて死んじゃったらどうすんの!」
「バイクでコケたくらいで心配しすぎなんだよ。見ての通り俺は健康そのもの……ッ!」
元気なことを証明しようとするように左腕を動かそうとして顔をしかめる。
「洋輔くんダメだよ! 安静にしてなさいって、先生に言われてるでしょ?」
やっぱり痛いんだ……洋輔の顔が苦痛にゆがむのを見て、心の中に絶望が流れ込んでくる。
あ、ダメだ。
直感する。
アタシの大好きなバンド、きっとなくなっちゃう。
洋輔と、オキとハルトくんのバンド。大好きな、完璧なスリーピースバンド。
もう、3人の演奏は、きっときけないんだ。
――なんでこのとき、そんなこと思っちゃったんだろう。
アタシの中にはとてもネガティブな自分がいて、アタシはその子のことを『ダークアヤ』って呼んでるんだけど、ダークアヤはいまみたいにたまに顔を出したかと思うと、とても不吉な予言をしてゆく。
そしてその嫌な予言は、絶対っていっていいほど当たっちゃうのだ。
ダークアヤはどんどん嫌な予言を頭の中に流しこんできて、そのひとつひとつがものすごく絶望的なことに思えたアタシは、泣いてしまった。リリと洋輔をたくさん困らせたけど、なんで泣いたのかはふたりには話せなかった。
数日後、洋輔が退院した。
洋輔はすぐにバンドに復帰したがったらしいけど、左腕のケガはやっぱりかなり深刻みたい。
元のように動かせるようになるにはたくさんの時間とリハビリが必要になる。お医者さんからそう言われたと、リリが教えてくれた。
だから、退院したら復帰するつもりだったライブを、洋輔はステージの外から眺めることになった。
ドラムは、別のヒトがヘルプで叩いた。
自分のいないBREATHのステージを、洋輔はどんな気持ちで見てたんだろう。
アタシは、知らないヒトがBREATHのドラムを叩いていることに拒否反応が出て、気持ち悪くなって途中で帰ってきてしまった。
けど、洋輔はずっと見てたらしい。
そして、たぶんあのライブの日からだと思う。洋輔が変わったのは。
以前の洋輔は太陽のようだった。みんなを引力で引っ張って照らし続ける、空のてっぺんに輝く王様。あの頃の洋輔はそんなだった。
ドラムを失った洋輔は、以前の洋輔を太陽だとすると――そう、夜の新月みたいだった。鋭くて冷たくて危険。相手なんてお構いなしに、近づくヒトのことはみんな傷つけた。
アタシは傷つきたくないから洋輔から距離をおくようにしたけど、バンドのメンバーのオキやハルトは、お互いをとても深く傷つけあって。
そしてダークアヤの予言どおりに、バンドは解散してしまった。
2
バンドが解散してしばらく経ったある雨の日、アタシは買い物目的で渋谷に来ていた。
公園通りに新しくできたお店で春物の服を選んでいると、リリから電話がかかってきた。
休日、リリは渋谷とか下北沢にいることが多い。洋輔の家が下北沢にあるから、藤沢に住んでるリリは週末になると洋輔に会うためにこっちへやってくるのだ。
あと、たまにウチに泊まりに来たりね。
リリとアタシは同じ大学に通っていて、1年生のとき、最初の授業で隣同士になってからの付き合いだ。
アタシたちは性格も、普段着てる服も、好きになる男のタイプも全然違うし、共通の趣味も音楽くらいしかないのに不思議ととても気が合う。知り合ってまだ2年だけど、まるで幼稚園の頃から知ってたみたいに信頼しあってるんだ。
だから、休みの日とかにこうやって前ぶれなしにリリから電話があったりするのは結構よくあることだったので、いつもしてるみたいに、服を選びながらほとんど反射的に電話を取っていた。
「もしもしー?」
いつもならすぐにリリの声がきこえてくるタイミングで、返事がない。
「……リリ、泣いてるの?」
「ごめんね、わたし――」
そこまでききとれたけど、後はなに言ってるのか全然わかんない。
けど、電話の奥からかすかに雨の音がしているから、外にいるのは間違いなさそうだった。
「ねえ、いまどこにいるの?」
リリは下北沢にいた。じゃあやっぱり洋輔と会ってたんだってピンときて、そこからさらに暗い予感を感じてしまう。
とにかく行かなきゃ! アタシは、お会計寸前までいってた服をあきらめて駅に急いだ。
「リリ!」
下北沢で電車を降りて、リリからきいていた場所に向かうと、路地の隅で、雨の中傘も差さずにうずくまっている女の子がいた。
顔は見えなかったけど、その子がリリだってことはすぐわかった。3月の冷たい雨に打たれるままのコートが、リリのお気に入りの春色のコートだったし、濡れてほっぺたに張り付いてる髪の間から見える耳の形もリリと同じだったから。いっしょに買ったおそろいのピアスをしていたから。
「リリ、どうしたの、傘くらい差しなよ!?」
開かれたまま、雨からなんにも守らずに転がっている傘は男物だった。もしかして洋輔の?
急いで自分の傘でリリを守りながら、そばに同じようにうずくまる。
冷たくなった両手は神様にお祈りしてるみたいに口元の前でにぎられていて、ブルブルと震えてた。アタシはその手をにぎり締めた。そしてもう片方の手でリリを抱きしめる。持っていた傘は、洋輔の傘と同じように転がった。
「……どうして?」
どうしてこうなるんだろう。
去年の11月。302号室。
洋輔のお見舞いにいった日に、とてもネガティブなアタシが予言したこと。
バンドの解散。
洋輔とリリの別れ。
どうして黒いアタシは、こんなことまでしっかり予言してしまうんだろう。
「洋輔くんに、フラれちゃった」
震えた声で、リリが報告した。
「うん」
リリを抱きしめていた手を、小さな頭に添え直す。
「あのね、すごく悲しいこと言われたの」
「うん」
「なんでだろ? 好きなのに――わたし」
「ごめんね、リリ」
リリが怪訝そうな顔をする。
「なんでアヤが謝るの?」
「アタシね、なんとなくこうなるんじゃないかって気がしてたの。だって洋輔は――」
アタシはあのとき病室で思っていたことを正直に話した。
だって洋輔は、あんなにBREATHのことが大好きで、なによりもドラムのことを愛していたから。
ドラムを失ってしまった洋輔は、他のすべてのことを、ヒトを、拒否する気がしていた。
「なんだ、そんなこと」
リリは泣き笑いみたいな顔で言った。
「だったらわたしも同じようなこと考えてたよ。洋輔くん、そんなヒトだもん、ね」
「……そうなの?」
「うん。――あのね、アヤの言うとおりだよ。左腕、ひどいケガなの。あんな大きなケガしてて、すぐにまたドラム叩けるようになるわけないもん。お医者さんも、真面目にリハビリしても1年後にお茶碗が持てるようになるかどうかって言ってたし」
1年後にお茶碗って……想像していた以上のひどいケガに、アタシは震えた。
「そう、だったんだ」
「大好きなドラムを叩けなくなった洋輔くんのこと、あのときのわたしには想像なんてできなかった」
けどいまは違う。ドラムを叩けなくなった洋輔を、リリはいつもいちばん近くで見ていたはずだった。
「なにがあっても、洋輔くんの支えになろうって決めてた」
苦しそうに息を吐く。
「けど、ダメだった」
雨に濡れたリリは、それでも泣いてるんだとわかるような大粒の涙を目から零れさせた。
「いっしょうけんめいそばにいようとしたけど、ダメだったんだ」
それ以上なにも言えず、リリは声を殺して泣き続ける。
額をくっつけるようにして、アタシも少しだけ泣いた。
ちょっとデリカシーがないけど気のいいやつだった洋輔は変わってしまい、大好きなバンドはなくなってしまった。
リリは大好きな人とお別れして、こんなにも傷ついている。
こんなときにアタシの頭の中を、もうなくなってしまったバンドのあの曲が流れる。
『Happy daily like a dream』
子守歌のように、その歌を歌ってみた。
『There's just "two" of the world
なんとなく いつか叶うんじゃないかって思っていた夢を
キミは他の誰かと 知らないうちに見ていたんだね』
洋輔のシンバルの音が、とても優しく頭に鳴り響く。
続きは歌わない。この歌はアタシたちの大好きな歌だったから。
続きはきっと、ふたりの頭の中で勝手に流れるの。
『冷たくて持てない
わがままをいうこの子のために
ボクは缶コーヒーを両手で暖めてあげた
キミは少しだけぬるくなったコーヒーを手に持って ニッコリと微笑む
そしてふたり並んで歩くんだ
ボクの冷たい心が 手から伝わらないように
缶コーヒーで冷えた両手を ポケットで暖めながら』
「アヤの手、あったかいね」
リリがアタシの左手をキュッてしてきた。にぎり返す。
雨は相変わらず冷たいけれど、少し優しくなって霧のように私たちに降り注いでいる。
もうあんな男のことなんて忘れちゃえばいいんだ。
他の男なんて、探せばきっとすぐに見つかる。リリくらいかわいければ、ぜったい大丈夫だから。
だからそんなに泣かないで、リリ。
「リリ、もう帰ろう? アタシんちおいでよ。カラダあっためないと風邪ひいちゃうよ。ね、いっしょにお風呂はいろう」
「……うん。けど、今日は彼氏来てないの?」
「実は先週別れちゃったんだ」
「……そうなんだ。すごいタイミング」
「うん。だから似たものどうし、今日はうちで語ろうよ」
ホントは、これから新しい彼氏と会う約束があったんだけどね。
彼氏には悪いけど、そっちはキャンセルしようっと。
うずくまっていたリリになんとか立ってもらい、アタシの傘にふたりで入って歩き出す。
歌は、頭の中でずっと続いている。
アタシたちが大好きだったバンドの、いまはもう演奏されない優しい歌。
『そしてふたり並んで歩くんだ
ボクの冷たい心が 手から伝わらないように
缶コーヒーを持ってたほうで キミの手をにぎりながら』
――けっきょくリリは、この日を境にあまり笑わない女の子になってしまった。
甘えん坊で、寂しがりやで、いつも笑っていたリリ。
いま思えば、洋輔がドラムを失って人が変わってしまったみたいに、リリもこのことをきっかけにして、どこか変わってしまったのかもしれなかった。
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