7 「もう、なんでよ!」 電車を降りた直後、声に出して文句を言った。 なんでこんな日に限ってお店超忙しくて、しかもシフトに穴があいたりするんだろう。 何度も見た腕時計の針をまた確認する。深夜11時ちょうど。 リリといったん別れてから、もう4時間が経ってしまっていた。 アタシがバイトしている居酒屋は、基本いつも忙しい。 安いし、どのメニューもけっこう美味しいしね。あと、なんでか店...
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「もう、なんでよ!」
電車を降りた直後、声に出して文句を言った。
なんでこんな日に限ってお店超忙しくて、しかもシフトに穴があいたりするんだろう。
何度も見た腕時計の針をまた確認する。深夜11時ちょうど。
リリといったん別れてから、もう4時間が経ってしまっていた。
アタシがバイトしている居酒屋は、基本いつも忙しい。
安いし、どのメニューもけっこう美味しいしね。あと、なんでか店員の女の子がみんなかわいいの。もちろんアタシも含めて。
あの店長、面接ぜったい顔で選んでる。
ただ、いつも忙しいお店だということを抜きにしても、今夜の忙しさは異常だった。
あーあ。ため息をつく。
ひさしぶりにリリがウチに泊まりにきてるっていうのに。
アタシはいろいろあったきょう一日の出来事を、急いで帰りながら振り返った。
午前中はリリといっしょに授業を受けた。授業の内容は予想通り退屈で、でもそれなりにがんばって勉強して、やっと終わってからふたりで食堂に行った。
今日はなんとなくコリアンな気分だったからビビンバセットにした。リリはおそばを頼んだんだけど、ぜんぜん食べなくて。
ほとんど食べないままリリがおはしを置いたので、さすがに心配になってきいたの。
「リリ、ぜんぜん食べてないじゃん。どうしたの、具合悪いの?」
「ううん、大丈夫」
元気のない声が返ってくる。
「ダメだよ食べないと。最近すごく痩せてきてるし。カラダ壊しちゃうよ」
「うん……ねえアヤ。このあと時間とれないかな?」
「え、どうしたの?」
「あのね、ちょっと相談したいことがあるの」
「そうなんだ――アタシに相談なんて最近めずらしいじゃん、もしかして恋愛系?」
「……うん、そんなようなもんかな」
リリがうつむき加減に笑いながらゆうのを見てピンと来た。
たぶんハルトくんのことだ!
3ヶ月と少し前――6月にnoiseの初ライブがにあって。
リリはハルトくんに招待されて観に行ってた。オキ情報によるとそれ以来、ふたりはしょっちゅう会っているらしいのだ。
時々バンドの練習にまで顔出すようになったんだって! それってすごいじゃん。もう付き合ってるんじゃないの? って思ったけど、それはまだビミョーなところらしい。
オキの見解としては、ハルトはとにかく慎重で、リリを傷つけたくなくて、それで告白に踏み切れてないんだって。
慎重って、それって臆病なだけなんじゃ? と思わないでもないけど、そう考えるハルトくんの気持ちもわからないでもなかった。
リリはたぶんいまだに洋輔を忘れられてないもの。だってリリ、やっぱりいまだにどこか元気がない。きょうだっておそば半分も食べてないし。
それじゃもしかして、慎重だったハルトくんがついについに告白したとか!? 胸が高鳴る。洋輔と別れて以来、ぜんぜん恋バナとかしてこなかったリリがいきなり恋愛相談だなんて、それくらいの大事件が発生したに違いないよ!
「じ、じゃあリリ。きょうはウチに泊まりにきたら?」
だって、それはじっくり話をきかせてもらわなければ。
最初からそれもいいかなと思ってたみたい。急な提案をすんなりオッケーしてくれる。
そのあと真面目に午後の授業に出て、夕方になってふたりで新宿に買い物にでかけて、じゃあそろそろウチに行こっかってなったときだった。突然オキから電話がかかってきたの。
「やばいアヤ! きょう店異常に忙しくて、しかも斉藤のヤツが休みやがってまわらねぇ! 悪いが1時間でいいから手伝いにきてくれないか!?」
「えぇー!」
オキとアタシは同じ居酒屋でバイトしてる。
でもこんな電話っていままでかかってきたことなくて、それだけ忙しいんだろうなって思った。
助けてあげたいけど……いくらなんでもタイミング悪いよ!
これからリリの恋愛トークきくんだから。
というわけで断ろうとしたときにリリがゆうの。
「わたしはだいじょうぶだから行ってきたら? オキくん助けてあげなよ」
「ええ、だってこれから」
「わたしアヤんちでお酒でも飲みながら待ってるからさ。それに、このまえオキくんに相談に乗ってもらったんでしょ?」
「う、それはそうだけど」
このまえっていうのは、アタシがシンくんにフラれた夜のことね。なんだかんだでもう2ヶ月以上も前の出来事になる。
アタシとリリって恋愛観が違いすぎて――アタシがぶっちゃけトークしたらリリってドン引きしそうだし――だから男関係の話はこっちからはほとんどしないんだけど、シンくんのことは話したの。
とてもつらかったから。男の子に他に好きなヒトがいるって言われて、こんなに苦しい気持ちになったのははじめてだった。
もしかしたらリリならわかってくれるかもしれない。それで思い切って相談したら、やっぱりリリはわかってくれて。その日はウチで、いっしょに泣きながらお酒飲んで過ごした。
そのときにいっしょに話したんだった。フラれた日にオキんちに押しかけて、いろいろ迷惑かけちゃったって。
あの日オキは、アタシが泣き止むまでずっとかまってくれた。
で、大泣きしたらある程度すっきりして、お風呂入りたくなったからお風呂借りて、ベッドも占領しちゃって、あの夜はかなり迷惑かけたと思う。
確かに借りを返すならいまだよね。少し考えて決めた。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。なるべく早く帰ってくるからゆっくりしててね」
「うん、わかった」
「鍵は、いつものところに隠してあるから」
「うん」
リリはにっこり笑ってひらひらと手をふった。
「じゃあ、いってらっしゃい。がんばってね」
それで急いで働きに行ったらマジ忙しくて。
ひさしぶりに、働いてて泣きそうになった。
「オキ!」
立て続けにジョッキにビールを注いでるオキに声をかける。
「なんだ!」
「超忙しい!」
「知ってる! ほらこれB卓持ってって!」
「もうやだぁ」
「おい、泣いてもいいがビールこぼすなよ」
「オニ!」
そんな感じであっという間に3時間経って。
やっとお客さん片付いてきたので、もう帰ることにした。
「じゃあ、アヤこれで帰るから」
「おう、ありがとな! マジ感謝してっから」
「うん、でも」
ビシッとオキを指さす。
「これでこのまえの借りは返したからね?」
それをきいてオキがきょとんとした顔をする。
「……このまえって、なんのことだ?」
「わかんなかったらいい」
なんだ、やっぱり気にしてなかったんじゃん。
ちょっと拍子抜けだったけど、オキのそんなところ、やっぱり嫌いじゃないな。
電車に乗って、ウチの最寄り駅についた頃には11時――で、いまに至るってわけ。
いっぱい待たせちゃったなー。
仕事が終わってすぐリリのケータイに電話したんだけど、出てくれなくて、ちょっと不安になる。
もいちどかけようかって悩んで、でも待ってるうちに寝ちゃってるのなら起こすの悪いし、とにかく急いで帰らなきゃって思ってそれ以来連絡してない。
寝てるんだったらまだいいんだけど。もしかして怒って帰っちゃってるんだったらどうしよう。
不安に感じながらも、アタシはワクワクが抑えきれなかった。
「ハルトくん、ついに告白……したんだよね?」
相談内容を勝手に想像しながらひとり呟く。
オキ情報によると、ハルトくんとリリは、6月のnoise初ライブから急接近したらしい。
もう9月だから、3ヶ月が経っている。
洋輔にリリがふられたのは3月だったから、しらないうちに半年も経ってしまっていた。
リリ、洋輔なんてもう忘れちゃいなよ。
だってアタシたちいま21歳なんだよ? 女子大生で、キャンパスライフは毎日忙しくて。
楽しいことも、嬉しいこともたくさんあるはずなのに。この半年間、リリずっと元気ないじゃん。
ふられた相手を――自分を好きじゃないヒトを想い続けても意味なんてない。ただつらいだけだよ。
それよりも、自分を見てくれてるヒトのところにいっちゃったほうが楽だし、ぜったい幸せになれるって。
(好きだよ。けど――たぶん愛せない)
ふいにシンくんの言葉を思い出す。ズキリ。瞬間胸に痛みを感じて、手で押さえた。
他にいちばん好きな人がいるってシンくんに言われてから、もう2ヶ月以上経っていた。
リリ、アタシは待たなかったよ。
もう他に好きなヒトを見つけて、彼女にしてもらったよ。
「リリ、アタシ幸せだよ」
ホントに? じゃあこの胸は、なんで痛いの?
自分自身のとても素朴な質問に、ただ首をふる。これでいいんだもん。
アタシをいちばんにしてくれないヒトなんか、待ったりしないんだから。
10分くらい歩くとウチが見えてきた。
築20年くらいの2階建てのアパートは、ちょっとボロっちいけどその分安くて、ひとり暮らし用なのにけっこう部屋が広い。
借りてる部屋は2階の角部屋で、しかも1階の住民は留守が多い。だから音とかもそこまで気にしなくてよくて、アタシはけっこうこの部屋が気に入ってた。
アパートにやっと到着して、2階に上がって部屋の前までいくと、台所の窓から明かりが漏れていてほっとした。
明かりがついてるなら、たぶんリリはいてくれてる。
鍵を開けて、部屋に入る。やっぱりリリの靴があった。よかったー。
「ただいまー」
返事はない。やっぱり寝てるのかな?
「リリ?」
キッチンを横切って、メインの部屋に続く扉を開けた。
いた。リリはカーペットの上で横になっていた。アタシんちに来たときにはいつも着る、ウチに置いてある青いトレーナーを着て、酔いつぶれたみたいに力なく横たわっている。
テーブルにはリリがコンビニで買ってきたらしきお菓子とかが広がっている。テーブルの横に、酎ハイやカクテル系のお酒の空き缶が入った袋があった。袋はけっこうふくれてて、ひとりでこんなに飲んだのって思ってびっくりした。
横たわっているリリは少し青ざめているように見える。酔っぱらって寝ちゃったんだね。
急に、アタシの中のもうひとりのアタシが悲鳴をあげた。
アタシはその悲鳴の意味になかなか気づけなかった。ネガティブなアタシ――ダークアヤは、半狂乱で悲鳴をあげ続けている。
アタシはダークアヤにすっかり置いてゆかれて、心をなくしたみたいにぼうぜんとリリを眺めることしかできなかった。
目を閉じて、眠っているいるようにしか見えないリリ。飲みすぎたせいで気持ちが悪いのか、眉間にしわが寄っているのがわかる。
テーブルにはお菓子と、あと風邪でもひいたのかな、病院でもらうようなお薬の袋が置かれてあった。
お薬の袋を手に取ってみる。青空メンタルクリニックと印刷されてる。中は空っぽだった。
視線をカーペットに落とす。錠剤の包装――プチプチ取り出すシートみたいなやつ――が2枚落ちていたから拾った。1枚で10錠が入るタイプのプチプチに、薬は1錠も残っていなかった。
「リリ――?」
このときになってはじめてアタシは、ダークアヤが悲鳴をあげ続けている理由を理解した。
「リリ!?」
慌ててリリの様子を確かめようとして、テーブルのカドに肘がぶつかる。反動でテーブルに立っていた酎ハイが倒れ、中身がこぼれた。
「リリ!」
激痛を無視して、リリを思いっきり揺さぶる。
「リリ! しっかりして! 目を覚まして!」
「……うん」
リリがうめき声をあげる。反応があったことにほっとして、次にどうしたらいいんだろうと必死で考える。けれどパニック状態の頭はうまく回ってくれない。どうしよう、どうしよう。しらないうちに、同じ言葉をひたすら繰り返してた。
「ようすけ……くん」
まだ目を覚まさないリリが、元カレの名前を呼んだ。
その瞬間、アタシは携帯電話を手にとって電話してた。
『……もしもし』
懐かしい声が電話の向こう側で聞こえる。
「洋輔、どうしよう、リリが、リリが死んじゃう!」
助けを求めて、アタシは叫んだ。
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電話に出てくれた洋輔に必死で説明しようとした。でもすっかりパニック状態のアタシはぜんぜんちゃんと喋れない。悲鳴まじりの説明を、洋輔はガマン強くきいてくれてる。
と思っていたら、急に厳しい声でゆうの。
『もういい。いっかい黙れ』
「どうして!? だってリリが……!」
『いいから黙れ!』
さっきより強い口調で命令されて、反射的に従ってしまう。
アタシが黙り込んだのを確かめたあと、洋輔は次の指示を出してきた。
『……よし、じゃあ深呼吸しろ』
言われるがまま深呼吸を繰り返す。1回、2回、3回。
『少しは落ち着いたか?』
「う、うん」
『ならこれから俺の質問だけに答えろ。いいな?』
「わかった! あのね、リリがウチで倒れてて、洋輔を呼んでて……!」
『だから喋るなって』
舌打ちしながら洋輔が厳しい声でゆう。
「あ、ごめん」
「とにかく質問するから答えろ。いまの話をまとめると、おまえとリリは、アヤ――おまえのウチにいるな』
「うん」
『おまえはバイトしてて帰りが遅くなった。で、帰ってみると、先に来ていたリリが倒れていた』
「うん」
『リリは、酒と、薬を大量に飲んでいる可能性が高い』
「うん、そう」
『酒は、どれだけ飲んでる?』
お酒の数を数えた。350mlの空き缶5本と、それと飲みかけで倒れてしまい、カーペットに大きなシミを作っている缶が1本。
「350ミリが6本」
『よし、薬は? 何錠だ?』
「ええと、10錠入りが2枚あるから、最高で20錠」
『他になんかやばいもんはないか? ガスが出っぱなしとか、手首切ってるとか』
とんでもないことを言われて、ゾッとしながら確かめた。
ガスの匂いはしない。リリも――よかった、どこもケガしてない。
「大丈夫、どこもケガしてないし、ガス漏れとかもないよ」
『そうか。じゃあ、これから俺のいうことをよくきいて、俺がそっちにつくまで、そのとおりにするんだ。いいな?』
「洋輔、来てくれるの?」
よかった。それがわかっただけでとても安心して、泣きそうになる。でもいま泣いちゃダメだと思ってガマンした。
『まず、リリの目を覚まさせろ。ひっぱたいてでも起こせ』
「うん」
ためらわず、言われたとおりリリをひっぱたく。
リリがうめき声をあげる。
「リリ、起きて!」
繰り返し頬を叩く。
「う……ん」
「リリ!」
「だれ……?」
「アタシだよ、アヤだよ!」
「アヤ? やめて、痛いよ」
その声が洋輔にも聞こえていたみたいで、携帯電話をまた手に取ると洋輔が言った。
『そのまま寝かすなよ。また叩いてもいいから、起こしておくんだ』
「う、うん」
『あと、水をいっぱい飲ませろ。で、吐くようなら吐かせろ』
「うん――ねえ、リリ死なない?」
『死ぬわけねえだろ。それくらいの酒の量じゃ急性アルコール中毒にはなりようがねぇよ』
「じゃあ薬は? 20錠くらい飲んでるよ?」
『医者が通院患者に処方するような薬、何錠飲んでも死なねぇよ。気になるといったら、吐いたもんで窒息することくらいだ。それもちゃんと起こして吐かせれば心配ない』
そうなんだ。よかったー!
ほっとしてその場にへたり込む。
『ちゃんと起こしとけよ。なにかあったらまた電話しろ。いまから行くから』
そう言って、電話が切れる。
「ほら、リリ起きて」
アタシはリリの上半身を一生懸命起きあがらせた。ベッドを背もたれがわりにして座らせる。
リリは、眠いとか、洋輔くんは? とか、ききとれないような声で呟いている。
「いい、寝ちゃダメだからね?」
そう命令してから台所に移動する。
2リットルのミネラルウォーターとグラスを持って部屋に戻る。水をグラスに注いで、ブツブツつぶやいているリリに持たせようとした。
「ほら、水飲んで」
のどが渇いてたのか、最初のうちリリはおとなしく水を飲んでくれてたけど、3杯目くらいから嫌がるようになった。
「もういらない。おなかいっぱいだよー」
「ダメだよ飲んで」
「……気持ち悪い」
「え、吐きそう?」
「ううん、大丈夫」
「そう……ねえ、なんでひとりでこんなにお酒飲んじゃったの?」
「……よく覚えてない」
「覚えてないって……」
「ええとね」
話しているうちにだんだん意識がはっきりしてきたみたい。リリはさっきよりはしっかりした声で話してくれるようになった。
「今日ね、わたしアヤに相談したいことがあるって言ってたでしょ」
すっかり忘れてた。アタシはうなずいた。
「ずっと悩んでて、誰かに相談したくて。だけど、ユウくんには相談できなかった」
「ユウ……ハルトくんとは最近けっこういっしょにいたんだよね?」
ユウくんという呼びかたはリリだけがしているハルトくんの呼びかたで、アタシも呼ぼうとしたんだけどうまく言えなくてハルトくんと言い直した。
「うん。ユウくんは、ずっとわたしを慰めてくれてた。洋輔くんとお別れしちゃって、寂しくてどうにかなりそうだったわたしのそばに、いてくれた」
「そうなの。よかったね、ハルトくんがいてくれて」
「わたし、ユウくんが好きだよ」
リリは告白した。
「高校3年生のときに予備校で出会ってから、少しずつ、ゆっくりと、ユウくんはわたしにとって大切な存在になっていってくれた」
ねえ、ユウくん。リリがそう話しかけてくる。リリはいつの間にか、アタシをハルトくんと間違えてるみたいだった。
「覚えてる? あなたとはじめて行った海は冬だからとても冷たくて――けれどわたしは子供みたくはしゃいでたね」
懐かしそうに目を細めて、そしてアタシの手をきゅっとにぎる。
「そんなわたしの手を、転ばないようにって、ずっとにぎってくれていた」
「リリ――」
「手、あったかかった」
そう言って大切そうに、にぎった手を頬に寄せた。
どうしよう。リリのこんな告白、アタシがきいてていいのかな。
「そのとき思ったの。あなたはわたしのことをずっと見ていてくれる。なにがあってもそばにいてくれるヒトだって、そんな気がしたの」
ニッコリと微笑む。
「――ホントだよ?」
「リリ――あのねアタシはハルトくんじゃなくて」
「でも、洋輔くんがもっと好き」
リリが、アタシの言いかけたのを無視して言った。
「いままでユウくんがそばにいてくれて、すごく嬉しかったよ。あの日海で感じたみたいに、やっぱりユウくんはわたしをずっと見ていてくれる人だって思った。けどね、やっぱり忘れられなかったの」
リリの頬を涙が伝う。
「ごめんねユウくん。わたしやっぱり洋輔くんが好き。洋輔くんがわたしのこと、もう嫌いになってるとしても」
インターフォンが鳴った。
リリの手をそっとほどいて、玄関のドアを開けに行く。洋輔が立っていた。
「リリの様子は」
ここまで走ってきたんだと思う。息を切らせながらきいてくる。
久しぶりに会った洋輔は無精ヒゲがけっこう生えてて、なんか以前とは違ったトガった感じがした。
「入って」
久しぶりに会った洋輔になんて答えたらいいかわからず、それだけ言って洋輔を迎え入れる。
「洋輔くん」
リリが洋輔の名前を呼ぶ。けれど、それは洋輔を見つけたからじゃなかった。
相変わらず、リリの目はなにも見てない。目の前の洋輔でさえ目に入ってなくて、涙に濡れた瞳は、ただ幻の洋輔くんを追っているようだった。
「どうして行っちゃったの? なんで振り向いてくれないの?」
悲しみにゆがんだ顔で、リリが訴える。
「リリ」
洋輔が、リリと同じくらいつらそうな顔で、以前の恋人の名前を呼んだ。
でもその声は聞こえなかったみたいで。やっぱりリリはなにもない空を見て、洋輔に話しかける。
「もうわたしを嫌いになったの? イヤだ。離れていかないで!」
声はだんだん大きくなっていく。普段のリリからは想像ができないヒステリックなその声を、洋輔は立ちすくんだまま聞いていた。
「だったらもう殺して! イヤ!」
リリは悲鳴をあげた。
「もうイヤ! イヤ! 殺して! もうイヤだ! もう、もう――」
洋輔がリリに駆け寄って、ギュッと抱きしめた。
「殺してよ! やだ、やめてよー!」
暴れるリリの手が、洋輔の顔を激しく打った。洋輔はそれでもリリを抱きしめ続けた。強く、だけどとても優しく。
「やめて、放して! 放して! はなして!」
リリのツメが、洋輔の首筋を引っ掻いた。シャツのボタンを引きちぎって、胸に爪をたてる。
「リリ」
「殺して!」
「――リリ」
洋輔は、暴れるリリをただ抱きしめて繰り返し名前を呼ぶ。その声に、とても深い愛情のようなものを感じてドキリとした。
急にリリが黙り込んだ。目が見開かれてた。
リリの口元には、洋輔の首筋があった。そのあたりの空気を、リリがすっと吸い込んだのがわかった。
「洋輔……くん?」
リリのその感覚わかるって思った。好きなヒトの匂いは、嗅いだらすぐにわかるもの。
「ああ、俺はここにいる」
「戻ってきてくれたの?」
リリが、あどけない顔と声できいた。
洋輔はためらうみたいに目を閉じる。
そしてまた開いたときの目は、びっくりするくらい優しかったの。
あの洋輔が、こんなまなざしをするなんて、知らなかった。
すこしカラダを離して、リリの顔が見えるようにする。優しい声で言った。
「そうだよ」
「……ホントに?」
「ああ」
「もうどこにもいかない?」
大きな傷跡の残る左手をあげる。少し震えている手を、そっとリリの頬にあてた。
「おまえは俺がいないとダメなんだ。そうだろ?」
「うん、そう」
リリが笑う。花のように。
「だからそばにいて。もう放さないで」
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