9 「どうぞ」 缶コーヒーを洋輔に渡した。 「サンキュー」 受け取った洋輔は、器用に右手だけでフタを空ける。 「リリ、眠ってる?」 「ああ、ぐっすり寝てるよ。そのうちイビキかきだすんじゃないか?」 「よかったー」 (だからそばにいて。もう放さないで) リリがそう言って、ふたりは無事仲直りをした。 そのあとリリには地獄が待っていた。 (じゃあそろそろ吐け) そうゆうと、それまでとて...
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「どうぞ」
缶コーヒーを洋輔に渡した。
「サンキュー」
受け取った洋輔は、器用に右手だけでフタを空ける。
「リリ、眠ってる?」
「ああ、ぐっすり寝てるよ。そのうちイビキかきだすんじゃないか?」
「よかったー」
(だからそばにいて。もう放さないで)
リリがそう言って、ふたりは無事仲直りをした。
そのあとリリには地獄が待っていた。
(じゃあそろそろ吐け)
そうゆうと、それまでとても優しい顔をしていた洋輔は突然、リリがガタガタ震え出すほど鬼のような形相に早変わりしたのだ。
リリを強引に立たせると、風呂場に連れて行く。そしてリリの口に右手の指を突っ込んで、無理矢理吐かせはじめた。
(なあ、俺が左手をケガして以来苦しんでるのは知ってるよな? このうえ俺の右手にまでケガとかさせたり、おまえはしないだろ?)
右手の指を口の中に突っ込まれた状態でそんなこと言われたら、抵抗なんてできるわけない。恐怖におびえながら、口を大きくあけ、嗚咽を繰り返す。
(よしよし、いい子だ。やればできるじゃねぇか)
いちど指を抜く。ゲホゲホと咳き込むリリ。
(ほら)
洋輔は2リットルのペットボトルをリリに渡す。
(ありがと)
素直に両手で受け取って、コクコクと飲みはじめるリリ。吐いたばっかりで水分がほしかったのかな。あっという間に5分の1くらい飲んでしまった。
ペットボトルから口を離したリリを見て、洋輔は言った。
(なにやめてんだ? 全部飲めよ)
(え、こんなに飲めな――)
(おまえ酒を6缶飲んだんだろ? だったらそれくらい飲めるよな?)
(は、はい)
観念して、水を再び飲みだす。
(その調子だ。全部飲んだらもういっかい吐こうな)
おびえるリリは逆らえず、とにかく水を全部飲んでしまった。そしてまた指を突っ込まれ、さっき飲んだばかりの水を吐かされる。
(いいか、こんど薬の大量服用なんてしてみろ。首輪つけて街中引きずり回してやるからな)
返事もできず、嗚咽を続けながら、リリは泣いていた。
で、ようやくその地獄のような時間が終わると、リリはベッドに寝かしつけられた。眠るまでの間も、洋輔はひたすら薬の大量服用について延々と説教し続けた。恐怖におびえていたけど、それでもリリは洋輔の左手をにぎって放さない。そして洋輔の説教を子守歌にリリは眠ったのだった。
「たぶんこの調子じゃ、ずっとあんまり寝れてなかったんだろうね」
「そうだな」
返事をした洋輔の声は、さっきまでの鬼モードとは打って変わって、とても穏やかだった。
「今日飲んだ薬も全部精神安定剤だったしな。眠剤は、もらった分はもう全部飲んだって言ってた」
「……ねぇ、きいていい?」
「なんだ?」
いつになく静かな洋輔の声に後押しされて、思い切ってきいてみることにした。
「いま、左手のケガってどんな感じなの?」
「……相変わらず役立たずさ。握力が戻りゃしねぇ。が、ようやく普段の生活には問題ないくらいにはなってきた」
「そう、なんだ」
じゃあ、まだやっぱりドラムを叩けるような状態じゃないんだ。
「リハビリとかしてるの?」
「してる。医者からは、ケガ自体は完治してるから、とにかく普段から使うようにって言われてるよ」
「じゃあ……じゃあいつかまた叩けるようになる?」
洋輔は、すぐには答えてくれなかった。コーヒーを飲んで、勝手にタバコに火をつける。ベッドの奥の開いた窓に向かって、フウって煙を吹きつけた。
網戸の奥から、まぁるい月がのぞいていた。
「……もう、ドラムはやめたよ」
「あ――」
ずうずうしくいろいろきいたアタシも、さすがにそれ以上はきけなかった。
なによりドラムが大好きだった洋輔がそんな決断を下したことの重さを考えると、なにも言えなくなってしまった。
「全部なくしちまった。ドラムも、仲間も」
「まだリリがいるじゃん」
「こいつもなにを考えているんだか。いまごろハルトと付き合ってるんだとばかり思ってたんだがな」
「付き合ってないみたい。オキがゆうには、ハルトくんはとにかく慎重で、リリを傷つけたくないって思ってて、だからなかなか告白できないんだって」
「なんだそりゃ? ただ臆病なだけなんじゃないのか?」
アタシが感じてたことを、洋輔はズバリと指摘した。リリがぐっすり眠っているのを確認して、さらに追求する。
「……ねえ、ハルトくんがリリを好きだって、洋輔は知ってたの?」
「ああ、知ってたよ。ずっと前から」
「ずっと前って?」
「リリを、ハルトに紹介されたときからな。ああ、こいつリリが好きなんだなって、すぐにピンときた」
「ええ、じゃあハルトくんの気持ちを知ってて付き合いだしたの!?」
「ああ。勝手に俺にくっついてきたんだよ。――けっきょく、ハルトじゃ物足りなかったんだろう」
「ものたりないって、ヒドイ言いかたー」
「しょうがねぇだろ、言葉を飾ってもさ。それが真実だ」
コーヒーを飲み干す。そしてタバコを吹かす。洋輔のタバコの吸いかたは嫌いじゃなかった。
「今回もそうだ。あいつはリリを自分の女にする勇気もないまま、結果的にリリを追いつめた。あいつの優しさはな、こういう女にとっては毒なんだよ。こういうひとりじゃなにも決められない、誰かを必要とするタイプの女は、男が守ってやらねぇとダメになるんだ。なにが『傷つけたくない』だ。傷つきたくない、の間違いじゃないのか。あいつはリリがこんなになるまでなにもせずに、結果ただ追いつめただけじゃねぇか」
あまりにもヒドイその言いかたに耳をふさぎたくなったけど、洋輔のゆう通りなのかもしれないと思ってただ黙り込む。
(わたし、ユウくんが好きだよ)
さっきリリは、アタシをハルトくんと間違えてそう言ってた。
(覚えてる? あなたとはじめて行った海は冬だからとても冷たくて――けれどわたしは子供みたくはしゃいでたね)
(そんなわたしの手を、転ばないようにって、ずっとにぎってくれていた)
(手、あったかかった)
(そのとき思ったの。あなたはわたしのことをずっと見ていてくれる。なにがあってもそばにいてくれるヒトだって、そんな気がしたの――ホントだよ?)
あの言葉に、ハルトくんへの深い愛情を感じた。リリは、ハルトくんをずっと待ってたんだ。ハルトくんが好きだって言ってくれるのを。洋輔への気持ちに捕らわれてがんじがらめになっていく自分を、強引にでもいいからさらっていってくれるのを。
「まったく、歌にする暇があったら、さっさと奪ってみろってんだ」
固いコーヒーの缶を、右手でぐしゃりとにぎり潰す。
あの歌のことを言ってるんだって、すぐにわかった。
「洋輔知ってたの? あの歌が……」
「そりゃわかるさ」
――冷たい手。ハルトくんの歌。
洋輔は、目を半分閉じて、鼻歌を歌うように、かすかな声で歌う。
『Happy daily like a dream
There's just "two" of the world』
かすれた声で歌いながら、右手の指でリズムをとっている。
『さよならは 言わないけれど きっと永遠に交わらないね
諦められないけど キミが幸せなら――』
歌うのをやめて洋輔は鼻で笑った。
「なにが、『キミが幸せならそれでいいんだ』だ。ただの言い訳だろ? 自分の惚れた女なら、人にまかせるなっての」
ムっとして言い返す。
「それはアンタの価値観でしょ? アンタは奪う愛、ハルトくんは見守る愛。愛の形が違うだけじゃん。あとさぁ」
さっきの洋輔の発言が、なんかリリを奪われてもいいんだってきこえて、きかずにはいられなかった。
「ねぇ、これからホントにリリとやり直すつもりなの?」
「――ああ、こいつは、俺がいないとダメみたいだからな」
「洋輔自身はどうなの? リリを好きなの?」
「どうだろうな」
「はぐらかさないで。洋輔の答えによっては、アヤ、ハルトくんの味方するからね!」
「……あいつが、本気でリリを奪いにくるんだったら、そのときは相手してやるさ」
そう言った洋輔の表情からなにか読み取れないかと思って凝視したけど、なに考えているのかわからなくて、あきらめてため息をつく。
「リリ、最近ハルトくんとよく会ってるって言ってたよ? ちゃんとハルトくんに言えるかなぁ」
「それはこいつがケリつける話だ。俺の知ったこっちゃねぇ――が、まあ、俺にやり直そうと言われたことにでもさせるか」
「そんなウソつかせてどうするの?」
「そしたらハルトの恨みが俺にくるだろ? こいつはただひとつの逃げ場を、ギリギリなくさないですむかもしれない」
「――あんたって、冷たいのか優しいのか、いい加減なのかズボラなのかよくわかんないね」
「おい、それ最後のほうひとつも褒めてないぞ」
「だってほめる気ないもん」
リリが寝返りをうった。そのスキに、洋輔はにぎられていた左手を離した。
自分のその手を、洋輔はじっと眺めている。さっきまでリリが離さなかった左手は傷あとだらけで、とても痛々しい。
洋輔の運命を変えたケガ。いつも憎らしそうに見るその左手を、この日の洋輔は、不思議ととても穏やかなまなざしで見てたっけ。
「――なあ、暗くしてもらっていいか?」
寝ているリリが起きないように、だよね? 部屋の明かりを消す。
台所の電気が間接照明みたいになって、柔らかい光で部屋を照らす。あと月の光が。
タバコの火を消して、洋輔は窓の外を見た。
「今夜は満月だったか。満月の夜はなにかが起きるっていうが、本当かもな」
「なにその発言。似合わなさすぎ」
とか言いながら、電気を消したついでに持ってきたビールを渡す。
「うるせぇよ――知ってるか? こいつには、月の光がとてもよく似合うんだ」
リリの頭をそっとなでる。
「おやすみ、リリ」
そのまま朝まで、洋輔は飽きもせず、ずっとリリの寝顔を見ていたみたい。
アタシは寝ちゃったけどね。
10
それから、しばらくリリは悩んでたようだった。
10日後くらいに報告がきた。思い切ってハルトくんと会って、さよならを言ったって。
電話をかけてきたのはハルトくんと別れたすぐあとで、ハルトくんをたくさん傷つけたって泣いてたっけ。
告白されそうな気がしたって言ってた。
(だからね、わたし慌てて洋輔くんの話をしたの。――ねぇ、もしもあのとき、わたしが遮らなかったら、ユウくんは告白してくれてたのかな?)
(え、うーん)
(告白されてたら、わたしってどうしてたんだろう――)
(ちょっとちょっと! ヒトのこと言えないけど、それフラフラしすぎ)
アタシってば、思わず似合わないお説教したんだっけ。
(そりゃあさぁ。もしかしたら、そのときハルトくんはリリに告白しようとしてたのかもしれないよ? でも、あんたは遮ったんでしょ? だったら、洋輔を選んだってことなんだから、もうそれでいいじゃん)
(うん……そうだね。そうだよね)
それからは、リリはどんどん元気を取り戻してまた以前みたいに――てわけにはやっぱりいかなかったみたい。洋輔にフラれる前と比べて、リリはやっぱりどこか寂しげで、そのせいかどうかはわかんないけど前より少し大人っぽくなった。
アタシはアタシで、あのあとすぐにシンくん呼び出して、で、彼氏ができたって報告したの。
(アヤのこと、すごく愛してくれてるの。だからアヤにとっても、いちばん大事なヒトなんだ)
って言ったら、シンくんったらすごく寂しそうな顔しちゃってさぁ。それにすごくキュンときて、衝動的に言っちゃった。
(だからシン君は、アヤの2番目に大事なヒトだよ。ね、これでおんなじでしょ?)
で、キスしちゃった……。
失敗したかなぁと思ったけど、もう時すでに遅しで、あたしのフタマタ生活がスタートして。
その彼氏とはすぐに別れて、慌ててすぐにまた新しく彼氏作って。そうやって、シンくんとの微妙な関係はしばらく維持されてた。
でも、それも最近やめたんだ。
シンくんが、以前よりも向き合ってくれるようになったのを感じたから。アタシも、もうすこし向き合ってみようかなって。
noiseもライブをこまめにやって、応援してくれるヒトも増えてきて。ハルトくんもだんだん元気になってきてるみたいで、少しずつ、少しずついろんなことが前に動きはじめた頃だった。
すっかり寒くなった12月。クリスマスネオンが街を彩る中、カフェでシンくんとパフェを食べていた。
そしたらシンくんがゆうの。
「なんかさ。リクが、田舎に帰るって言い出したんだよね」
リクっていうのは、noiseのドラムをヘルプで叩いてくれているヒトね。掛け持ちでいくつかのバンドを手伝ってるみたいなんだけど、noise意外のバンドはそんなに活動的じゃないみたいで、けっこうnoiseにスケジュールあわせてくれて助かってるんだって。
「へぇ」
アタシは大して興味も持てないまま、気のない返事をした。
「もうすぐ年末だもんね。じゃあ戻ってくるのは年明け?」
「もう戻らないってさ」
「そうなんだ、じゃあしばらく4人で練習できないね……て、えぇ!?」
「なんかさ、お父さんが農作業中にケガしちゃったとかでさ。寂しがってるみたい」
「リクくんって頼りになるもんね。帰ってきてほしいってお父さんの気持ちわかるかも……で、でもじゃあnoiseはどうすんのよ!?」
「うん。いままでリクを専属みたいにしてたからさぁ。だれか新しいドラマーを探さなきゃなんだけど……ひとり候補がいてさぁ」
「なんだー。じゃあよかったじゃない。さすがnoiseくらいになると、いっしょにドラム叩きたいって言ってくれるヒト、すぐ見つかるんだね」
すっかり安心して、またパフェを食べようとしたら、シンくんが相変わらずウーンって唸ってて。
「それがさぁ。なんか彼が、ヘルプじゃなくて、正式なメンバーとして加入したいって言ってきてるんだよね」
えぇ!? アタシはまたしても驚きの声をあげた。
「正式なメンバーって、でもnoiseは……」
もともとnoiseは、洋輔のケガが治ったらまたいっしょにバンドやれるようにって思いで作ったバンドのはずだった。
だから、正式なメンバーとしてドラマーを迎え入れるはずがない。ただ……。
「ほら、最近リリの件があったろ? オキにさ、この前相談されたんだよね。たとえばいずれ洋輔がnoiseに入るとして、ハルトと洋輔と、なんのわだかまりも持たずにバンドを続けていけるだろうかって」
「う、うーん」
それは確かに。
「ぼく的にはさ、この際新しいドラマー入れちゃえばいいって思うんだけど」
洋輔とそんなに親しいわけではないシンは、しれっとそんなことを言ってくる。
「だってさ、オキのいうとおり、ハルトとそんなわだかまりがあったりしたらバンド活動に支障が出るのは避けられないし、だいいち洋輔ってまだドラム叩ける状態じゃないんだろ? ぼくたちは、全メンバーが揃うまでいつまで待たなきゃいけないんだって話だよ」
「それはそうだけど」
「オキもハルトも甘すぎるんだよ」
だんだん興奮してきたシンは、グーにした手をテーブルに叩きつけそうな勢いだった。
「勝手に事故ってケガしてグレて、一方的にバンド解散してリリもフってあとは知らん顔しててさ。で、ハルトが時間かけてやっと恋を実らせようとしてたら『やっぱり返して』みたいな感じでまた奪っていったんだろ? そんな自分勝手なヤツの席なんて、これ以上あけとく必要ないってッ」
「ああもう、言いたいことはわかったからツバちらさないでー!」
「ごめんごめん、けど!」
ドン。シンくんは控えめにテーブルにこぶしを叩きつけて宣言した。
「ぼくはイヤだね! そんなヤツとなんか、ぜったいバンド組んでやるもんか」
迫力とかまるでなかったけど、平和主義者のシンくんが本気で怒っているのを見るのはこれがはじめてだった。
アタシはパフェを食べながら思う。
このパフェみたいには、やっぱりモノゴト甘くはないんだなって。
そういえばあの日――シンくんとはじめて会った日に、シンくんと、オキとハルトくんにnoise結成を知らされる中で、こんな質問したんだった。
(ねぇ、なんでバンド名をnoiseにしたの?)
そしたらハルトくんが教えてくれた。
(うーん、このまえ音を編集しててさ、これノイズだらけで使えないって思ったときに感じたんだ。これって生きることに似てるなって)
ハルトくんはこう続けた。
悩んで、苦しんで、生きてると雑音だらけだ。いろいろめんどくさいけど、たまに嫌になったりもするけど、それでも僕らは生きていかなきゃならない。
だったら――どうせ雑音にまみれて生きていかなきゃならないんならさ、少しでもその雑音を楽しめたらって。それがきっかけなんだよ。
『生きてると雑音だらけだ』って言ったときにハルトくんが一瞬見せた苦しそうな顔を、アタシはたまぁに思い出す。
けっきょくみんなおんなじなんだなって思う。
ハルトくんもシンくんもオキも、洋輔もリリも、もちろんアタシも。
みんないろいろあって、いつもそれなりに悩みを抱えてて。
ハルトくんの言葉を借りれば、雑音だらけの人生を歩いてるんだ。
「どうしたの?」
急に黙り込んだアタシを、シンくんが心配してくれる。
「ううん、なんでもないよ。はい、アーン」
そう言いながらパフェをスプーンですくって、シンくんに食べさせてあげた。
甘いものが大好きなシンくんは、さっきまでの怒りはすっかり忘れたみたいな嬉しそうな顔してパフェを頬張る。
子供みたいなシンくんの表情を眺めながら、一瞬雑音の中にピュアな音を見つけだせた気がして、とても幸せな気分になった。
優しくきゅっと - noise Vol.05 - 終
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