山田タクミは六歳。 山田権三郎が五十歳の時にうっかりこしらえてしまった息子です。 「くださいなー」 タクミはそう言ってお店に入りました。薄暗く、あちこちうっすらと埃のかぶった小さなお店。タクミの家から歩いて5分ほどのところにある駄菓子屋さんです。 タクミの家からはもう少し近いところに別の駄菓子屋さんがあるので、タクミはこの駄菓子屋さんにはあまり行くことはなかったのですが、たまに、権三郎の...
山田タクミは六歳。
山田権三郎が五十歳の時にうっかりこしらえてしまった息子です。
「くださいなー」
タクミはそう言ってお店に入りました。薄暗く、あちこちうっすらと埃のかぶった小さなお店。タクミの家から歩いて5分ほどのところにある駄菓子屋さんです。
タクミの家からはもう少し近いところに別の駄菓子屋さんがあるので、タクミはこの駄菓子屋さんにはあまり行くことはなかったのですが、たまに、権三郎の帰りが待てないくらいとてもお腹がすいている時には、いつもここにくるようにしていました。
「いらっしゃい」
店に入ると、いつもむすっとした顔をしたおばあちゃんが少しわずらわしそうにそう言って出迎えてくれます。
「お寿司一つください」
「はいよ。四十円ね」
このお店には、種類不明な魚の切り身を酢で締めた、おばあちゃんお手製のにぎり寿司がおいてあって、このお寿司がタクミは大好きだったのです。
にぎり寿司はおにぎりくらいの大きさがあり、タクミのちっちゃな体だとこの一個で晩御飯まで十分お腹が持ちました。
「いただきまーす!」
その場でタクミはお寿司を口にほおばりました。
と、慌てすぎたタクミはむせ込んでしまいます。
「なにやってんだい!」
おばあちゃんの罵声が飛びます。
「床が汚れちまうだろ! 汚くするんなら外で食べな!」
タクミは慌てて店を出て行こうとしました。
「まあ、そう怒ってやるな」
店の奥でそんな声がしました。店の段差のある座敷に座ってテレビを見ていた店のおじいちゃんです。
「茶でも出してやりな」
おじいちゃんがそう言うと、ぶつぶつ言いながらも、おばあちゃんはタクミにお茶をいれてくれます。
「……ありがとう」
「ふん、礼はちゃんとできるんだね」
そう言うとおばあちゃんはタクミに目もくれず、座敷に腰掛けておじいちゃんと一緒に相撲中継を見始めました。
「ごちそうさまでした」
お寿司を全部食べたタクミはそう言って店を出ました。
それからしばらく、タクミはその駄菓子屋さんには行きませんでした。
ある日、お腹がすいたタクミは、どうしてもおばあちゃんの作ったあのお寿司が食べたくなりました。
タクミは、短気で優しくないおばあちゃんのことが嫌いでしたが、おばあちゃんの作るお寿司は大好きだったのです。
我慢できなくなって、タクミはお寿司を食べに駄菓子屋さんに行きました。
「あれ? しまってる」
店につくと、お店は閉まっていました。
こんな時間にお店が閉まっていたことは初めてです。しかたなく、タクミはお寿司を諦めて帰ります。
次の日、またタクミはおばあちゃんの駄菓子屋さんに行きました。最近権三郎の帰りが遅いので、タクミは毎日のように夕方にはお腹を空かせていたのです。
お店は閉まっていました。次の日も、次の日もお店は閉まっていました。
どうしたんだろう? タクミは不安になりました。もう、あのお寿司を食べられないのかな。そう思うと、とても悲しくなりました。
その日もタクミはおばあちゃんの駄菓子屋さんに行きました。
お店は閉まっていました。窓ガラスには厚いカーテンがかけられていて、中を覗くこともできません。
「どうしたんだい、坊や?」
そんなタクミに、話しかけてくる人がいました。
名前は知らないけれど、近所のおじさんです。
人見知りなタクミがオドオドしていると、おじさんは言いました。
「店が気になってるんだな。けど坊や、この店はもう、やらないかもしれないなあ」
「え?」
驚くタクミの顔を見て、おじさんは少し気の毒そうな顔をします。
「ここのばあさんはね。この前、死んじゃったんだ」
「しんじゃったの?」
「ああ。もともと心臓が悪かったんだ。じいさんが慌てて救急車を呼んだんだが、結局意識は戻らんままだったらしい。あんな――」
おじさんは声を落としました。
「――あんな取り乱したじいさんは初めて見たな。ばあさんの名前を呼ぶんだよ。普段はめったに口も聞かないじいさんが物凄い形相で、聞いたことない悲痛な声でな。救急車に運ばれるばあさんの名前を何度も、何度も呼ぶんだ」
なにも言わないタクミに、おじさんはさらに言葉を続けました。もうそれは小さな子供に話して聞かせる口調ではなく、ほとんど独り言のようなものでした。
「あれ以来、じいさんはすっかりふさぎこんでしまってな。心配して近所のもんが訪ねても、ろく口も利かないそうだよ。まるで抜け殻だとさ。あのままじゃあ、じいさんもいずれ……」
口ごもったおじさんは、なんとなく困ったような顔をして、タクミを見ました。
タクミは口をつぐんだままでした。何を言ったらいいかわからなかったのです。
おじさんはため息混じりにタクミに笑いかけました。
「坊やには難しくてわからんか。あんな口やかましいばあさんでも、じいさんにとってはそれくらい大切な人だったということだよ」
「たいせつなひと……」
「うんそうだ。――考えてみたら、何十年もずっと一緒だったんだもんな。あの店で、二人きりで生きてきた」
なんとなくばつが悪そうに、おじさんはタクミから目をそらします。
「とにかくこの店はもうやらんのじゃないかな。お菓子が買いたいんなら別の店に行くようにしな」
そしてそう言うと行ってしまいました。
タクミはしばらくの間、閉まったままの駄菓子屋さんの前に立ち尽くしていました。
突然、タクミは駆け出しました。
権三郎がもう帰っていて、タクミのことを待っているかもしれないと思って。

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